慣れる怖さ・欲の怖さ・生きた証明

20代でCIDPで命の覚悟をしていたのに謎の劇的寛解を果たしてから、私は人生を「おまけ」「延長戦」のような気持ちで生きてた。


30代で我が子を3人亡くし、2度の抗がん剤治療を経て、その思いはさらに強く、自分の人生だけど自分の人生ではないような、どっちつかずの気持ちを抱えていた。


40代で妊活を諦め、もう一度「自分の人生」を自分らしく、あの子たちと共に生きてみよう。

そこから「楽しいはつくれる」ということを発信して、この人生も悪くない。

自分の楽しいを誰かと共感できる喜びや、自分の感性を自由に表現できることに喜びを感じていた。


それだけで十分幸せだった。

なのに、どうして?

あぁ。人間とは慣れる動物ともいうけれど、どうしてあれ程、感動したのに

その感動や満足に慣れてしまうのだろうか?


発見してもらえて、声をかけてもらうだけでも感動してドキドキした数カ月を過ごせたのに。

これに受かったら自分の人生、あの子たちの人生を証明できる。

そう思ってしまった。


最終面接のような打ち合わせの時、あの子たちと共にいると感じた。

実体はないけれど、あの瞬間一体となっていた感覚が残っている。


だから。

どうしても、今回は受かりたい。

有名になりたいとかじゃない。

あの瞬間、確かに感じたあの子たちとの思い出を正解にしたい。


つい欲が出てしまった。


惜しい結果に終わった今。想像以上にショックを受けている。


常にフラットに。日常に感謝しながら欲を出さずにひたむきに。

そう生きるほうが心が楽と知っているのに。


母性って本当に色褪せない。

子供を想うとひょいと境界線を飛んでしまう。

苦しいけれど

何年経っても母なんだ。

そう感じることこそ、あの子たちがいた証明なんだと思う。










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