人生最良の日の更新
2016年5月、のんちゃんを流産する前日。
新築建売住宅の契約をして、その足で家具を選びに行った。
「難病を告知されたときには結婚とか、家とか、仕事とか、普通の幸せは一旦諦めよう」そう思って生きてきたから、のんちゃんの心拍が確認されて、家の契約も無事に済んで、その時の私は「こんな私が結婚して、妊娠できて、家まで購入できる日が来るなんて思わなかった」そう感動していた。
新しい家で、赤ちゃんが産まれたあとの生活を旦那さんと想像しながら笑いあった日。
たった1日だったけれど、まさしく人生最良の日だった。
まさか、翌日には流産するなんて想像もしていなかった。
あれから運命は残酷で、流産や異常妊娠を繰り返し、抗がん剤治療の末、私は自分の子供を産み育てることを諦めた。私の中では子供を産み育てることが人生最大の歓びであり、子供を諦めるということは、あの日を超える人生最良の日はもう2度とない。そう思っていた。
でも、更新したよ。人生の最良の日。
あの子たちを亡くして、それでも生きていかなくちゃいけなくて。
でも、私の人生を難病で子供を亡くした可哀そうな人生だけにしたくない。
私の人生を生きたからこそ、私にしか出来ないことがあるはず。
突き詰めて考えた末にみつけた「楽しいはつくれる」
それは闘病時に気づいた。
病気がどんどん進行して、体が動かなくて怖くて泣いてたとき、当時彼(旦那さん)は「俺は治ると信じているから」と毎日電話して寄り添ってくれた。それが嬉しくて、生きたい。そう思った。
だから、治療法を調べて主治医と対話を重ね、納得しながら治療に臨んだ。
死を覚悟するほど最悪だと思うときでも俯瞰して状況を把握できれば、選択肢が必ずある。そして、どんな状況でも楽しいと思うことを自分で作ることが出来る。
今、起きている最低最悪な状況だけがすべてではない。その状況下で可能な自分が楽しいと思うことを見つけていく。それが「楽しいはつくれる」の原点だ。
そうやって「楽しいはつくれる」の発信を続けた末、色んなご縁が重なり、夢のような出来事があり、迎えた3月14日。
わたし達家族の10周年の結婚記念日。
たまたま、その日はジャイ子も就職試験の最終面接のため東京。
私たち夫婦も東京。そしてTBSひるおびの収録日。
終わって集合してMargoでお祝い。ジャイ子は即内定もらったし、いびつな形の私たち家族だけど、それぞれが自分の人生を切り開いて、それぞれが自分らしく生きていることに感動。
10年お母さん頑張って良かった。病気や運命に負けずに、足掻いてよかった。
色んな事を乗り越えて迎えた、今年の3月14日が人生最良の日だと思った。
人生最良の日を更新しても、あの子たちを想うと胸が苦しくなるし。
同じ月齢の子がいるから、親せきの集まりにはどうしても行けない。トラウマもしっかりある。
それでも、私の人生はそれだけではない。
人やモノとの出会いでにより「楽しいはつくれる」をいろんな場所で、色んな人と真心で繋がりあいながら描いている。それは尊く、美しい光景だ。
これを続けていけば、この先の人生でも人生最良の日が更新されるんじゃなかな?とも思う。
そう思えることが幸せだ。
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