目を覚ました
ほんものの演奏会と感じたのはいつ振りだろ?
たしか2年前のギルギエフ×ウィーンフィルぶりか。
あれから、チケット購入しては来日中止からの払い戻しが続いて。
ムジカエテルナ2021年2022年の来日中止で、私の中のなにかがプチッと切れて、チケット購入さえしなくなった。
国内オケの公演は行ったけど、追い求める美しさ
とは程遠く、ほんものが聴けないなら演奏会には
行かなくていいかもな。そう思っていた。
でも、サイモン・ラトルが来日、それも九州で公演となると、ダメ元でも良い。
6年ぶりのラトルの音楽を聴きたいが上回った。
公演中。
コロナに飼いならされて、ほんものの音楽を求めることを諦めていた自分を恥じた。
これ。これだよ。
ほんものの音楽だよ。
指揮者、オケ、ソリストの上に渦巻いてる、
音楽のうねり。
これ、これだよ。
座って、息を殺して聴いてるだけ。
なのに、どうして、こんなにも心が震えるの?
美しさに浸りながら内省する、こんなこと
クラシックだけなんだよ。
あまりの美しさと感動に
ハッと目を覚ました。
どんな時でも『楽しいはつくれる』
でも、出来ない状況が続くと出来ないことに
適応するために、諦めることがある。
でも、諦めたらいけないことってあるんだな。
そう、気づいた。
極上のクラシックを追い求めることは私にとって
息を吸うように自然で必須のものだから。
諦めるなんてありえない。
自分でも、長い時間かけてゆるやかに諦めていて
クラシックが私に不可欠なものだということすら
忘れてた。
土台だったんだなぁ。
美しい音楽を通して、自分と向き合う時間は私が「自分らしさとは何かを確認する時間」で、そこから「何をするかを決めていた時間」だった。
このところ、空回りしている気がしていたのは
内省する深さが足りてなかったから。だから、何をしていくかを迷っていた。
危ない危ない。
違う方向に走るとこだった。
自分を作っている土台。
それが、なにかを知ること。
それは、絶対に忘れてはいけない。
違う方向に走ると心が満たされない。
どんな状況下でも『楽しいはつくれる』
でも、どんな状況下でも
『自分をつくる土台は忘れたらいけない』
いつか、出来るかもしれないと信じて
希望を持ち続ける。
その大切さ。
もう。忘れない。
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