感謝の雪崩

今、自分の人生では考えられないようなことが雪崩のように起きている。

信じられない気持ちでいっぱいだ。


奇跡の連続だと思うけれど。

それよりも感じるのは感謝の気持ち。


みつけてくれたSさん。

Sさんの背景に広がるSさんの人生。どうにか形にしたいと思う本気度。

Mさんの本当のことを伝えたいと思う若いながらも骨太な仕事観。

Hさんの面白いところを敏感に察知して返す感性。

チームで取り組むって新しい発見の連続だ。

自分だけでなく皆で喜べるようにしたい。皆で幸せを感じたい。

そう思えるって、幸せだと思った。


岩崎さん・タネトの奥津さん。

奥津さんがいなかったら、種を蒔くデザイン展自体なかったから、皆川さんにも出会えていない。

いや、そもそも岩崎さんが世間の風に動じず、雲仙の種を守って育ててきたからだ。

在来種の野菜なんて知らなかったから、スーパーで売っている野菜がすべてだと思っていた。

野菜が美味しいなんて、調理法で味が変わるなんて知らなかった。


今まで行ったすべての飲食店のかたがた。

そのお店ごとに背景とこだわりがあって、ひも解くととても哲学的。

生産者の方に敬意を表されている料理人が多く、素材を大事にした調理法。

素材と向き合い、その季節に美味しい調理法を考えるようになった。


家族。

我が家は特殊だ。母親への理想が異常に高い中1女子のステップマザーとなり、娘の子育て、父と娘の懸け橋になるように頑張らないといけなかったし、この娘に「幸せを待って、不平を持つ人生」でなく「幸せを自分でみつけられる人生」を歩めるように育てたかった。

だから、過剰に甘やかすことが出来なかった。彼女が欲しいことはわかっていたのに。

彼女が大人になっていくうちに、これで良かったのかもな。と思ったのは、就活で自分で自分がなりたいものを描いて勝ち取ったから。つらかっただろうけど、良く育ってくれた。

なんだか、10年が報われたような気がする。そもそも「まいにちまぜごはん」だって、ご飯ぐらいは叱らずに好き嫌いをなくしてあげたいと思って朝食のお米料理が始まったんだから、彼女がいなかったら今回のことはない。

そして、旦那さん。

病めるときも健やかなときも、誰よりも私のことを信じてくれて、自由にさせてくれて、守ってくれて、まぜごはんだって一緒に運営してくれて、私が病気でも奇跡の復活を果たしているのは、彼が私を信じてくれているからだと思う。彼に出会ってなかったら、たぶん、わたしは早くに死んでいたと思う。


皆川明さん。

思えば28歳でCIDPで死ぬかと思ってから、ずっと、余生のような思いで人生生きていた。流産、胞状奇胎、抗がん剤治療×2をして、あぁ人生詰んだと思って本当に死を覚悟したのに、謎の寛解を果たし、子供を諦めた途端、残りの人生がある事に愕然とした。

私の人生を難病で子供を亡くしただけにしたくない。

それは私の代表的な不幸であり、それがすべてではない。もっと美しい私の人生の景色。たくさんある。今思えば、それを証明する方法を模索していたんだと思う。

そのときに、聴いた皆川さんの話と、おススメいただいた本に出会ったから、私にしかできない人生の表現「楽しいはつくれる」に気づいたんだと思う。


人と接することは得意ではないけれど、人が好きなのは、自分だけでは気づかない価値観や発見があるから。理想を描けるから。

人は人と触れ合わないと、幸せにはなれないんじゃないかなぁ?

楽しいと思えないんじゃないかなぁ?


人に傷つけられることもあるけれど、それより多くのものを与えてもらえている。

全ての人への感謝をつづりたいけれど、もう、寝ないと。

現実社会が待っている。


それでも、今だから伝えたい。

今まで出会ったすべての人に感謝したい。

「ありがとう」






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