日々のあぶく

元気ですか?

今、楽しいですか?なにを一番に大切にしていますか?

どこでどんな働き方をしていますか?どんなライフワークに取り組んでいますか?


毎年ずっと来年の私への手紙は書いていたけれど、この手紙を書いている今が一番未来が想像できなくて、どう書こうか悩んでしまう。


去年の2024年11月に退職を決意して、毎月なにかに挑戦する日々、人生の中で一番自分を優先して、自分らしく生きている1年だと思う。

色んな体験を通して、色とりどりの感情が生まれては消えてを繰り返しながら、これからどう生きていこうかを模索中。


現在はくらしまるまるはの活動をしながら、オンラインのWEB制作スクールに通学中。スクールが完了する2026年3月にフルタイムもしくはパート勤務で再就職をする予定。


本当に未来が分からないなぁ。

くらしまるまるを継続していけるか?楽しいと思う職業に再就職出来るのか?今構想中のお料理の新しいコンテンツを本当に始めるのか?

まだ、悩んでいるし、手ごたえもないままなんだけど。

壮年期の1年間、自分探しとやってみたいことに挑戦できたこと、贅沢な時間。

いろんな発見があったし、自分と向き合うことが出来た。

家族の支えなしでは実現できなかった。本当に感謝してる。


今までの手紙の中で一番内容に乏しい今回。

来年笑い飛ばせているのだろうか?結局なにも決まらなかったと不安な気持ちになっているのだろうか?

分からないけれど、突き進むしかない。


2026年の11月の私が笑顔でいますように。






パンドラの箱を意識してから、ずっと箱が出来た理由や役割を演じる理由をずっと考えていた。


本来の私の性格は自己中心的で、自分の欲や衝動に貪欲。自分の行動が誰かに影響を及ぼすなんて考えもしない。

自分が思ったままに自由にふるまっていた。

好きという自分の気持ちに純粋すぎる程に正直だった。


20代の私はそんな性格で巻き起こるトラブルに飽き飽きしていた。

自制できずに感情に振り回されて、悲劇のヒロインになってしまう。

まるで「あぁはなりたくない」そう思った姿そのまま。

自分の感情に我を失わずにコントロールする大人のオンナに憧れていた。


旦那さんに出会って、無条件に信じてくれる人が身近にいることで、安心した。

わたしも旦那さんとジャイ子のために彼らが誇れる「母」になろうと誓った。

ジャイ子が大学卒業するまでの10年間、母モードの私は誇らしかった。

そんな私がずっと続くと思っていたのに、ひょんなことから退職して自由に生きていけるようになり、好きという感情や感動がダイレクトに感じるようになって、今まで押さえていた本来の私が出てきてしまった。


感情が直接届いて、心が震えた。

それだけでよかったのに、自分の欲や衝動を抑えようとしてもこぼれ落ちるようになった。

お酒を飲んで特定条件が揃うと、記憶を飛ばすようになってしまった。

次第にこんなはずじゃなかった。私が誇れるワタシじゃない。ずるくてワタシは大嫌いだ。

パンドラの箱が出来た理由や役割を演じる本当の目的は私が私を好きでいるため。

そして、本当に大事にしたい人を大事にするため。


きっと、一度開けた箱は事あるごとに開くかもしれない。

でも、その気持ちをもちながらも私が私を誇れるように生きていきたい。


母モードは自分を殺しすぎていた。

でも、自分らしい自分は手に負えないし、私が嫌いなワタシになってしまう。

今はこの二つを今の私らしく再構築する時なんだと思う。


この歳でその作業は気が遠く、心の動きハラハラドキドキが苦しい。


それでも、本当に私らしく誇れる自分になりたい。

頑張ろう。

小学2年生の運動会。

かけっこで最後尾を走る私は笑顔だった。当時は小児喘息で発作がでたりして、度々入院していた。少し運動しただけで苦しくなって蹲っていたから、かけっこの時に思いきり走っても苦しくならなくて嬉しくて、楽しくて、順位なんて二の次だった。

傍目からみればヘラヘラしながら走っているように見えたのだろう。

かけっこの後に父親から真面目に走るようにと叱られた。理不尽に怒鳴られ、説明する隙もなかった。


皆が当たり前のように出来る普通のことが出来ない。

そんな私にとって、些細なことでも普通に出来ることが本当に嬉しく、楽しいと思う子供だった。

出来て当然という教育方針の両親には普通以上のことしか話せず、本当の気持ちを分かって欲しいという欲は子供の頃に諦めた。


だから、大事にしたい本当の気持ちは、ぎゅっと抱きしめた後に、その都度パンドラの箱に仕舞った。

時折、箱から出してそっと抱きしめる。それで良かった。


子供の頃の絶望、心震える歓び、本や人の温かさ、亡くした子供達への母性、叶わない願い、本当に欲しかったもの。

気持ちを誰かと共有しようなんて思いもしなかった。

私の気持ちなんて分かる人なんていない。

分かったと言われても素直に受け入れられるわけないと思っていた。


だから、思いがけず、パンドラの箱を一緒に開けてしまって動転した。

分かってくれる人がいるのかもしれない。

話したくて話したくて、いつもはコントロールできる気持ちが暴走した。

そう思うことは悪いことではない。

でも、気持ちを共有するべきではない。

分かっている。


ずっと誰かに本当の気持ちを話したい、気持ちを分かって欲しかったんだと気付いて更に苦しくなった。

我儘で身勝手で合理的ではない私の本当の気持ち。振り回されるのは自分だけで良い。

誰も巻き込みたくない。


冷静に考えると、なぜ私が発信を続けるのか?発信を続けられないくらいなら、仕事を辞めることを厭わないのか?すべては発信することこそ私の本当の気持ちだからだ。

発信すること自体が私そのモノなんだと気付いた。


誰かに理解されたいと渇望していたことは認める。その気持ちと向き合わせてくれたことに感謝する。

だけど、パンドラの箱はいつもの場所に戻す。


そう、記している今でも話したい気持ちがある。

でも、話すべきではないことも分かっている。

折り合いをつけたいから書き残す。

あぁはなりたくない。

感情に飲み込まれて、なりふり構わずに暴力の如く、自分の想いをぶつける。


だから、自分の感情は自分でコントロールする。

感情に飲み込まれない。

子供の頃に誓った。

だから、本当の私でいるのが怖かったんだと思う。


大人になり、役割を果たすように「母親であるわたし」を生きてきて、少しは胸張って生きていけるようになった。苦難を乗り越え、自分らしく生きる大人のワタシ。


そう思っていたのに、本当の私で生きはじめた途端、余計な感情の多さに困惑している。

うまくコントロールできなくて自己嫌悪になる。


役割を果たすように生きていた理由は、余計な感情に心が疲弊しないようにするため。

悪いことではなかったんだ。

私がずっと幸せでいられるように、子供ながらに考えた最善策だったんだ。


利己的な余計な感情はいらない。

心の波風立てたくない。

常に一定でいたい。

優しくありたい。

大切な人を大切にしたい。


あぁはなりたくない。

それだけは守りたい。



夏が怖かった。


16年前の7月11日。海きららで小学1年生のジャイ子と初対面を果たし、これから結婚へ向かっていくんだと思っていた。あの時は、まさか10日後に緊急入院するなんて思っていなかった。


今となって冷静に振り返れば異常事態というのは一目瞭然。


走れないし、階段の昇り降りも手すりがないと出来なかったし、ブラジャーのホックだって後ろ手では出来ないし、和式のトイレでは立ち上がり方が分からなくなっていたし、髪の毛を乾かすときもドライヤーを持つ手が震えて落とすから、持ったり置いたりを繰り返し、休み休み乾かしていた。


立っていたのがやっとな状態なのに、自分の意志とは無関係に体が徐々に動かなくなることに、全く気づかなかった。


気づかない私に愛想を尽かした体が、突然倒れるという暴挙に出て、入院した7月。

パルス療法が功を奏して、リハビリに精を出した8月。


今日、突然携帯に思い出のアルバムに通知された2009年8月10日付の写真。

リハビリでヒールを履いて100m歩けたと両手をあげて大喜びしている私。

その刹那、走馬灯のように16年間の思い出が脳裏を駆け巡る。

色々あったなぁ。


あの時から16年。

あの時の私に言ってあげたい。


「あなた、あと半年で再発して難病宣告されるし、子供を3人も亡くしたし、死にそうになることも何回かあったけど、それでも2025年の夏にはその経験を踏まえても、人生で一番楽しい夏を過ごせたと笑っているよ」


そう思って、このブログを書いている、今が一番幸せだ。


人生は何が起こるか分からない。

一生かけても癒えない傷も出来る。

だけど、そういうものを全部抱えても

幸せと思うこともある。

生きていないと分からないことだ。



よく「強いですね」と言われる。

確かに、なにか覚悟をもって臨むときは自分でも真っすぐに勢いをもって進もうとするので「強い」と思う。


でも、その強さは弱さの裏返しでもあって。

何か覚悟をつけるとき、追い込まれて佳境に入ると、3歳くらいの女の子小さい千春が出てきて

暴れまわる。

自分も未来も一緒にいる人も信じたいけれど、信じるのが怖い。傷つきたくない。

本当に好きで大切であるほど「ずっと一緒にいたい・続けたい」と思うことが怖くなって、逃げたくなる。


今までの人生の結果、不可効力の運命がトラウマになっている。

CIDPや胞状奇胎・侵入奇胎など難病を患ったこと、子供を持つことを諦めたこと。天職だった仕事を辞めたこと。

今回も不可抗力の運命を強引に認めさせられるような事態にならないかと不安でたまらなくなる。

それに振り回されるのは自分一人で十分。誰も巻き込みたくない。


まるで20年ぶり恋したみたいなパニックぶり。こんなこと想定外だったけれど。

良い年した大人が真面目に最後の挑戦に臨もうとおもうんだから、仕方ないよね。

本気で取り組んで、皆で成果をあげて還元したい。

今の私がやりたい役割だと自覚した。

「くらしまるまる」のチームを、こんなに大切に思っているんだなぁ。

何が起きようと、傷ついても、やりたい。


mina perhonen皆川さんが教えてくれたV.Eフランクルの「意味への意志」の1文を思い出す。


人間が避けることも変えることもできない運命に出会った時に取る心構えと態度によって、

人間はその人にしか出来ない、ある事を証明することが出来るのです。

そのあることとは、苦悩をひとつの業績に転換するということです。


うん。大丈夫。怖い。

それでも、やるの。








この1年ブログを更新することが出来なかった。


「まいにちまぜごはん」の認知度が上がる一方、常に会社での居心地の悪さを感じて、発信を続けることに後ろめたさを感じていた。

活動に注力したいのに仕事と家事に追われ、思うようにならない日々。

誰が読むかも分からないのに、ありのままの気持ちなど書けるわけもない。


そもそも、どう生きていこうか、覚悟が決まらない中途半端な気持ちを書き残すことが出来なかった。


あれから1年。

ひょんなことから退職して、現在求職中。

ところが、料理研究家でのメディア露出増。キー局でのレシピ紹介や、地元でのお料理コーナー出演、地元新聞や雑誌での掲載など、夢の続きのような状態。

しばらく様子をみて、仕事は決めようと考えている。

そして、くらしまるまる本格始動。長崎での活動拠点を魚ん町+として活動連携させて頂き、月一イベント開催予定。11月、2月には大規模マルシェ開催。プロデューサーを迎え、7月末にはポットキャストも始める。全く想像以上の楽しいことが作れそうでドキドキしている。


こうして書こうと思えたのは、生き方が変わったと実感したから。


去年までの私は「お母さん」の役割を果たすことが最優先だった。自分のことよりも家族のこと、亡くした子供たちのこと、安定した生活のための仕事。お母さんとしての役割を果たすことが最優先。その次に自分のやりたい事があったし、お母さんとしての役割が果たせないと思うことは諦めた。それが当たり前だと思っていたし、後悔はない。むしろ、私にしかできなかったことだと思うので誇りとすら思っていた。


変わった意識はなかったけれど、気づいてしまった。


くらしまるまるの活動やテレビの収録やレシピ開発など、チームで何かに取り組む歓びが一番うれしいことに。

人と関わることが苦手だし、今でも打ち解けていると思っても怖いことはある。予想外の感情に振り回されることもあるし、最悪の事態を想定する癖があるので、人が増えれば怖くなることも増える。

それでも、だれかと一緒に「楽しい」を描くことがものすごく楽しい。

今なら役割を果たすために生きるではなく、本当にやりたいことのために生きてもいいのかな?そう思った。


それはもう、10年以上忘れていた感覚でまさかそんな気持ちになるなんて思わなかった。

もう1度、自分の人生を本気で生きてみる。


そう、思わせてくれる大切な人たちに感謝だ。

結果を出して恩返しできればいいな。





こうなりたい

こうはなりたくない


色んな世界を行き来すると

対極に直面して心が苦しくなる


そういう対極の世界で

自分の佇まいを考える


そうやって

なりたい自分に近づいていく

minä perhonen皆川さんのお話は予言のようだ

今年は更にminä perhonenを受け継いだ田中さんとのトーク。

仕事でもプライベートでも時代の転換期で世代間を繋ぐことを意識していた日々だったから、本当に答えのような、予言のような時間だった。


minä perhonen、皆川さんの信念、哲学のどこに魅了されているのか?それがハッキリ分かった。

「歓びの循環」(詳しくは下記参照してね)

自分の歓びが誰かの歓びとなり繋がって社会の歓びになっていく

それが再び自分の歓びとなる

それは私の描く理想の未来のかたち


デザイン(思想を表現すること)は生きること

個々の日々の生き方で社会が変わっていく

嘘のようだけど、minä perhonenのブランドの佇まいをみれば一目瞭然


そんな大きなところだけではない

私1人の人生の表現「楽しいはつくれる」でも小さなことだけど

循環が始まっている


minä perhonenが小浜に出来たら絶対働きたい!

絶対凄い勢いで先に進み、「歓びの循環」のサイクルも凄い勢いで回りそうだ


色んな人と色んな角度で繋がりながら

社会や未来を変えていきたい

小さくても私が出来ることで変えていく

「楽しいはつくれる」を静かに深い覚悟をもってつづけていく



【歓びの循環】

モノを作るときの

歓んでいる 感情のエネルギーが

モノに残り 伝わること

 使う人の歓びが 社会の歓びになっていく

自分の手から離れた歓びの感情が

人や社会と繋がって

再び 自分に戻ってくる 

歓びの循環が社会を変えていく



【次世代にバトンを繋ぐ】

次の走者を探す 

100年続くブランド 継承される流れをつくる 

自分たちの信じていることを

時代や社会にに合わせる

 調和させること

つぎの継続につながること 

それをどうハンドリングさせるか? 

それがバトンを渡すこと

早くからバトンゾーンを考えること

【バトンを受け継ぐ】

この人についていけば

凄い勢いで先に進める

その思いがずっと続いている



【やりたいことは自分で自覚する】

どんな時代でも自分らしく生きられない

そういう空気が流れるときもある 

でもそれは、その人のマインド次第

 やりたいことは自分の中で自覚が生まれるとき

 コレをしてないと自分じゃない 

その理由を自分の中でみつける 

 世の中に良いもの、評価され上手くいくからと飛び込むでなく 

自分のホントの好きを自覚する 

 評価されるまでは時間がかかる 

諦めずに続けていれば共感性が産まれる 


【自問自答すること】

本当に可能性はどこにあるんだろう 

遠くにいけるんだろう 


【日常=表現】

毎日=絵 

紙に書くことだけが絵描きではない

頭の中で書いてるスケッチしてる

絵を 書くことだけは縛られない

どんなことも自由で 

空想の自分の人生が大事 

空想の自分と現実の自分を繋ぐ 

それが絵を書く ということ


自分の内から出てくるものが、表現だと思っていたんだけど、どうやらそれだけではないのかも?


私は人付き合いが苦手だ。

他人から見れば、社交的だと思うだろうし、人脈づくりしているとか思われているのかもしれないが、当人からすれば、嫌いな人とは関わりたく無し、忖度が発生しそうな人間関係には関わらない。

本当に好きなものや興味があるものしか、知りたいとは思わないし、人に伝えたいと思わない。

その上、見た目よりもシャイなので本当に好きな人に話しかけるのが苦手で恥ずかしい。感動は伝えられるけど、会話が発生すると途端に緊張してしまう。我ながら厄介な性格だ。


「まいにちまぜごはん」だって、アカウントを始めて初期運用でフォロワー数が激増したときだって、身バレしないように「長崎」と公にしなかった。

そんな私が、日常の楽しいを表現するのに「長崎」と隠すのは不自然だし、せっかく表現するなら、その日常に共感する人がたくさん増えたら良いなぁ。と想い、2年前から長崎のインフルエンサーと公言して活動している。

自分の人付き合いのスタンスを保ちつつ、インフルエンサーとしての活動も出来るんだ。

それが今では、私の発信の特徴で支持される部分でもある。それはスゴイ発見だ。


2年間の活動を通して感じたこと。

自分の内から出てくるものが、表現だと思っていたけれど、それだけじゃないのかも?

人と人との出会いや、色んな体験により、やりたい表現も変わっていくし、向かう先もみえてきた。

「楽しいはつくれる」という、形がなくて漠然としたものが、人とのかかわりによって形が作られ、伝わっていく。それも、色んな人と関われば、切り口によって顔も変われば形も変わる。

1人では分からなかった。

自分だけでは気づかない価値観や考え方に触れて、自分の価値感や表現するものが変わり、描きたい表現が変わっていく。それがものすごく楽しい。


人って1人だけでは楽しく生きていけないと実感した。

自分のスタンスのままで、どこまで人と繋がりあっていけるのかは分からない。


だけど、自分の心地よい楽しい営みを表現して、そこに共感して集まる同志たちと「楽しいはつくれる」を色んな角度で表現していきたい。いろんな種類の楽しい表現があることを知りたい。

そう思うと胸がドキドキワクワクする。


今年は本当に楽しい1年になりそうだ。




自分の内から出てくる表現+人との化学変化=あたらしい表現