日々のあぶく

自分の人生でうまれた表現をみつけた

「楽しいはつくれる」

その表現が広がっている

生きがいというものもみえつつある


でもね

それでも、こっちの人生のほうが良いなんて思えない

ふとパラレルワールドであの子たちの生きていた世界が見えると

胸が締め付けられる


自分一人の体を調整するだけで精いっぱいなのに

変わりゆく時代と環境に、これからの時代を生き抜くって大変

そう思っているのに


暴走する心と向き合いながら、ひっそりとお盆の準備をする

お花と蝋燭で目印を立て、あの子たちを待つ


ひとしきり泣いた後


それとこれとは別問題

生きがいが見えてきたからといって

心の穴がふさがるわけではない


それでも穴があいてても、それだけが私のすべてではない

違う側面ではわたしの楽しい人生がある


あの子たちが身を挺して教えてくれたこと

俯瞰して状況を正しくとらえると、楽しいはつくれる


そう、この繰り返しだ








こうなりたい

こうはなりたくない


色んな世界を行き来すると

対極に直面して心が苦しくなる


そういう対極の世界で

自分の佇まいを考える


そうやって

なりたい自分に近づいていく

minä perhonen皆川さんのお話は予言のようだ

今年は更にminä perhonenを受け継いだ田中さんとのトーク。

仕事でもプライベートでも時代の転換期で世代間を繋ぐことを意識していた日々だったから、本当に答えのような、予言のような時間だった。


minä perhonen、皆川さんの信念、哲学のどこに魅了されているのか?それがハッキリ分かった。

「歓びの循環」(詳しくは下記参照してね)

自分の歓びが誰かの歓びとなり繋がって社会の歓びになっていく

それが再び自分の歓びとなる

それは私の描く理想の未来のかたち


デザイン(思想を表現すること)は生きること

個々の日々の生き方で社会が変わっていく

嘘のようだけど、minä perhonenのブランドの佇まいをみれば一目瞭然


そんな大きなところだけではない

私1人の人生の表現「楽しいはつくれる」でも小さなことだけど

循環が始まっている


minä perhonenが小浜に出来たら絶対働きたい!

絶対凄い勢いで先に進み、「歓びの循環」のサイクルも凄い勢いで回りそうだ


色んな人と色んな角度で繋がりながら

社会や未来を変えていきたい

小さくても私が出来ることで変えていく

「楽しいはつくれる」を静かに深い覚悟をもってつづけていく



【歓びの循環】

モノを作るときの

歓んでいる 感情のエネルギーが

モノに残り 伝わること

 使う人の歓びが 社会の歓びになっていく

自分の手から離れた歓びの感情が

人や社会と繋がって

再び 自分に戻ってくる 

歓びの循環が社会を変えていく



【次世代にバトンを繋ぐ】

次の走者を探す 

100年続くブランド 継承される流れをつくる 

自分たちの信じていることを

時代や社会にに合わせる

 調和させること

つぎの継続につながること 

それをどうハンドリングさせるか? 

それがバトンを渡すこと

早くからバトンゾーンを考えること

【バトンを受け継ぐ】

この人についていけば

凄い勢いで先に進める

その思いがずっと続いている



【やりたいことは自分で自覚する】

どんな時代でも自分らしく生きられない

そういう空気が流れるときもある 

でもそれは、その人のマインド次第

 やりたいことは自分の中で自覚が生まれるとき

 コレをしてないと自分じゃない 

その理由を自分の中でみつける 

 世の中に良いもの、評価され上手くいくからと飛び込むでなく 

自分のホントの好きを自覚する 

 評価されるまでは時間がかかる 

諦めずに続けていれば共感性が産まれる 


【自問自答すること】

本当に可能性はどこにあるんだろう 

遠くにいけるんだろう 


【日常=表現】

毎日=絵 

紙に書くことだけが絵描きではない

頭の中で書いてるスケッチしてる

絵を 書くことだけは縛られない

どんなことも自由で 

空想の自分の人生が大事 

空想の自分と現実の自分を繋ぐ 

それが絵を書く ということ


自分の内から出てくるものが、表現だと思っていたんだけど、どうやらそれだけではないのかも?


私は人付き合いが苦手だ。

他人から見れば、社交的だと思うだろうし、人脈づくりしているとか思われているのかもしれないが、当人からすれば、嫌いな人とは関わりたく無し、忖度が発生しそうな人間関係には関わらない。

本当に好きなものや興味があるものしか、知りたいとは思わないし、人に伝えたいと思わない。

その上、見た目よりもシャイなので本当に好きな人に話しかけるのが苦手で恥ずかしい。感動は伝えられるけど、会話が発生すると途端に緊張してしまう。我ながら厄介な性格だ。


「まいにちまぜごはん」だって、アカウントを始めて初期運用でフォロワー数が激増したときだって、身バレしないように「長崎」と公にしなかった。

そんな私が、日常の楽しいを表現するのに「長崎」と隠すのは不自然だし、せっかく表現するなら、その日常に共感する人がたくさん増えたら良いなぁ。と想い、2年前から長崎のインフルエンサーと公言して活動している。

自分の人付き合いのスタンスを保ちつつ、インフルエンサーとしての活動も出来るんだ。

それが今では、私の発信の特徴で支持される部分でもある。それはスゴイ発見だ。


2年間の活動を通して感じたこと。

自分の内から出てくるものが、表現だと思っていたけれど、それだけじゃないのかも?

人と人との出会いや、色んな体験により、やりたい表現も変わっていくし、向かう先もみえてきた。

「楽しいはつくれる」という、形がなくて漠然としたものが、人とのかかわりによって形が作られ、伝わっていく。それも、色んな人と関われば、切り口によって顔も変われば形も変わる。

1人では分からなかった。

自分だけでは気づかない価値観や考え方に触れて、自分の価値感や表現するものが変わり、描きたい表現が変わっていく。それがものすごく楽しい。


人って1人だけでは楽しく生きていけないと実感した。

自分のスタンスのままで、どこまで人と繋がりあっていけるのかは分からない。


だけど、自分の心地よい楽しい営みを表現して、そこに共感して集まる同志たちと「楽しいはつくれる」を色んな角度で表現していきたい。いろんな種類の楽しい表現があることを知りたい。

そう思うと胸がドキドキワクワクする。


今年は本当に楽しい1年になりそうだ。




自分の内から出てくる表現+人との化学変化=あたらしい表現


2016年5月、のんちゃんを流産する前日。

新築建売住宅の契約をして、その足で家具を選びに行った。

「難病を告知されたときには結婚とか、家とか、仕事とか、普通の幸せは一旦諦めよう」そう思って生きてきたから、のんちゃんの心拍が確認されて、家の契約も無事に済んで、その時の私は「こんな私が結婚して、妊娠できて、家まで購入できる日が来るなんて思わなかった」そう感動していた。

新しい家で、赤ちゃんが産まれたあとの生活を旦那さんと想像しながら笑いあった日。

たった1日だったけれど、まさしく人生最良の日だった。

まさか、翌日には流産するなんて想像もしていなかった。


あれから運命は残酷で、流産や異常妊娠を繰り返し、抗がん剤治療の末、私は自分の子供を産み育てることを諦めた。私の中では子供を産み育てることが人生最大の歓びであり、子供を諦めるということは、あの日を超える人生最良の日はもう2度とない。そう思っていた。


でも、更新したよ。人生の最良の日。


あの子たちを亡くして、それでも生きていかなくちゃいけなくて。

でも、私の人生を難病で子供を亡くした可哀そうな人生だけにしたくない。


私の人生を生きたからこそ、私にしか出来ないことがあるはず。

突き詰めて考えた末にみつけた「楽しいはつくれる」

それは闘病時に気づいた。


病気がどんどん進行して、体が動かなくて怖くて泣いてたとき、当時彼(旦那さん)は「俺は治ると信じているから」と毎日電話して寄り添ってくれた。それが嬉しくて、生きたい。そう思った。

だから、治療法を調べて主治医と対話を重ね、納得しながら治療に臨んだ。


死を覚悟するほど最悪だと思うときでも俯瞰して状況を把握できれば、選択肢が必ずある。そして、どんな状況でも楽しいと思うことを自分で作ることが出来る。


今、起きている最低最悪な状況だけがすべてではない。その状況下で可能な自分が楽しいと思うことを見つけていく。それが「楽しいはつくれる」の原点だ。


そうやって「楽しいはつくれる」の発信を続けた末、色んなご縁が重なり、夢のような出来事があり、迎えた3月14日。

わたし達家族の10周年の結婚記念日。

たまたま、その日はジャイ子も就職試験の最終面接のため東京。

私たち夫婦も東京。そしてTBSひるおびの収録日。

終わって集合してMargoでお祝い。ジャイ子は即内定もらったし、いびつな形の私たち家族だけど、それぞれが自分の人生を切り開いて、それぞれが自分らしく生きていることに感動。

10年お母さん頑張って良かった。病気や運命に負けずに、足掻いてよかった。


色んな事を乗り越えて迎えた、今年の3月14日が人生最良の日だと思った。


人生最良の日を更新しても、あの子たちを想うと胸が苦しくなるし。

同じ月齢の子がいるから、親せきの集まりにはどうしても行けない。トラウマもしっかりある。


それでも、私の人生はそれだけではない。

人やモノとの出会いでにより「楽しいはつくれる」をいろんな場所で、色んな人と真心で繋がりあいながら描いている。それは尊く、美しい光景だ。


これを続けていけば、この先の人生でも人生最良の日が更新されるんじゃなかな?とも思う。

そう思えることが幸せだ。








明らかに時代が変わっている。

仕事でも、プライベートでもヒリヒリと感じる、昔と今の当たり前の逆転。


昔のリゲインのCMソングを思い出せばわかる。

「24時間戦えますか?」

このフレーズが当たり前だと感じる人

50代以上の多くの人

わっ!ブラックだと嫌悪感を感じる人

20代~30代の多くの人

その狭間でどちらの感覚もわかる40代


世代間のギャップを埋めて、良きものを引き継ぎ

悪しき慣習をなくしていく


それが40代である私が勝手に抱えている責任感


社会が勝手に当てはめようとする「幸せの形」

それに疑問を呈して、人それぞれの「幸せの形」が

あることを証明していこう。


そう考えて臨んだ「種を蒔くデザイン展2024」

そこに答えがあった


時代の変化を感じ取れていることが大事

でも、自分でどうにかできるものではない


せめて自分とその周りだけでも

居心地が良く、気持ちが良い、世界をつくる


自分らしく、心地よい営みの中で感じることを発信していく


自分の心地よい営みを表現することが

自分の人生をデザインすることになり

そこに共感して集まる同志で、一番苦手だけど

コミュニティをつくり

未来に向け自分たちに出来ることを考えていきたい


「楽しいはつくれる」を色んな角度で

色んな人と繋がりあいながら

提案していきたい。




3・13 養老孟司×奥津典子 「共振と対話」

大きな災害が起こったあとは普通の人たちの生活が変わり

社会の当たり前が変わる


頑張ろうとせずに猫を見習う


居心地良い

気分が良い

そういう場所を 自分でつくる 



3.20 内山節 講演会「種を、海を、受け継ぐ君たちへ」

思想を表現する=デザイン


過去はヒントを教えてくれる 自分たちは良い方向に向かっているのか?

と見直して過去をみると、見るポイントが変わる

 今の社会の問題意識を持ちながら過去に目をむけると 

過去から答えがみえる


永遠の営みをかんじる そこでの暮らしに永遠を感じる 

営みの繋がりあいから社会を作っていく

ともに生きる社会をつくる


改革をすること

変わった年数かけて戻す 

 自分が出発点をつくる 改革を続ける決意 


3.25 岩﨑政利+山田孝之(原点回帰)

岩崎さんの言葉

野菜というものは 色んなことを自然、気候、地域に残っている美味しさ 

地域の風土の味、微生物の味を全て習得して、 多様なる味 個性全てを把握したら、

その畑で野菜そのものが美味しいよと表現してくれる

 

 人と種 人と作物 人と風土に慣れていく 最高傑作の農作物で仕上がる


山田さんの言葉

台所と畑が遠い 人間ごときに地球はどうならない

 そんなことよりも、今、一人では生きていけない。 

全ては1つで感謝することが必要


 自分に来るまでのプロセスが多い 

 想像させる ことを忘れちゃいけない 


美味しいとはめちゃくちゃ大事 

体に良いとかでは人には届かない

美味しいほうが伝わる 見た目も美しさ  


どうやったらワクワクするんだろうか? 

違ったらやめても良い。 

続けたほうがいいことはしぶとく続ける 


今、自分の人生では考えられないようなことが雪崩のように起きている。

信じられない気持ちでいっぱいだ。


奇跡の連続だと思うけれど。

それよりも感じるのは感謝の気持ち。


みつけてくれたSさん。

Sさんの背景に広がるSさんの人生。どうにか形にしたいと思う本気度。

Mさんの本当のことを伝えたいと思う若いながらも骨太な仕事観。

Hさんの面白いところを敏感に察知して返す感性。

チームで取り組むって新しい発見の連続だ。

自分だけでなく皆で喜べるようにしたい。皆で幸せを感じたい。

そう思えるって、幸せだと思った。


岩崎さん・タネトの奥津さん。

奥津さんがいなかったら、種を蒔くデザイン展自体なかったから、皆川さんにも出会えていない。

いや、そもそも岩崎さんが世間の風に動じず、雲仙の種を守って育ててきたからだ。

在来種の野菜なんて知らなかったから、スーパーで売っている野菜がすべてだと思っていた。

野菜が美味しいなんて、調理法で味が変わるなんて知らなかった。


今まで行ったすべての飲食店のかたがた。

そのお店ごとに背景とこだわりがあって、ひも解くととても哲学的。

生産者の方に敬意を表されている料理人が多く、素材を大事にした調理法。

素材と向き合い、その季節に美味しい調理法を考えるようになった。


家族。

我が家は特殊だ。母親への理想が異常に高い中1女子のステップマザーとなり、娘の子育て、父と娘の懸け橋になるように頑張らないといけなかったし、この娘に「幸せを待って、不平を持つ人生」でなく「幸せを自分でみつけられる人生」を歩めるように育てたかった。

だから、過剰に甘やかすことが出来なかった。彼女が欲しいことはわかっていたのに。

彼女が大人になっていくうちに、これで良かったのかもな。と思ったのは、就活で自分で自分がなりたいものを描いて勝ち取ったから。つらかっただろうけど、良く育ってくれた。

なんだか、10年が報われたような気がする。そもそも「まいにちまぜごはん」だって、ご飯ぐらいは叱らずに好き嫌いをなくしてあげたいと思って朝食のお米料理が始まったんだから、彼女がいなかったら今回のことはない。

そして、旦那さん。

病めるときも健やかなときも、誰よりも私のことを信じてくれて、自由にさせてくれて、守ってくれて、まぜごはんだって一緒に運営してくれて、私が病気でも奇跡の復活を果たしているのは、彼が私を信じてくれているからだと思う。彼に出会ってなかったら、たぶん、わたしは早くに死んでいたと思う。


皆川明さん。

思えば28歳でCIDPで死ぬかと思ってから、ずっと、余生のような思いで人生生きていた。流産、胞状奇胎、抗がん剤治療×2をして、あぁ人生詰んだと思って本当に死を覚悟したのに、謎の寛解を果たし、子供を諦めた途端、残りの人生がある事に愕然とした。

私の人生を難病で子供を亡くしただけにしたくない。

それは私の代表的な不幸であり、それがすべてではない。もっと美しい私の人生の景色。たくさんある。今思えば、それを証明する方法を模索していたんだと思う。

そのときに、聴いた皆川さんの話と、おススメいただいた本に出会ったから、私にしかできない人生の表現「楽しいはつくれる」に気づいたんだと思う。


人と接することは得意ではないけれど、人が好きなのは、自分だけでは気づかない価値観や発見があるから。理想を描けるから。

人は人と触れ合わないと、幸せにはなれないんじゃないかなぁ?

楽しいと思えないんじゃないかなぁ?


人に傷つけられることもあるけれど、それより多くのものを与えてもらえている。

全ての人への感謝をつづりたいけれど、もう、寝ないと。

現実社会が待っている。


それでも、今だから伝えたい。

今まで出会ったすべての人に感謝したい。

「ありがとう」






20代でCIDPで命の覚悟をしていたのに謎の劇的寛解を果たしてから、私は人生を「おまけ」「延長戦」のような気持ちで生きてた。


30代で我が子を3人亡くし、2度の抗がん剤治療を経て、その思いはさらに強く、自分の人生だけど自分の人生ではないような、どっちつかずの気持ちを抱えていた。


40代で妊活を諦め、もう一度「自分の人生」を自分らしく、あの子たちと共に生きてみよう。

そこから「楽しいはつくれる」ということを発信して、この人生も悪くない。

自分の楽しいを誰かと共感できる喜びや、自分の感性を自由に表現できることに喜びを感じていた。


それだけで十分幸せだった。

なのに、どうして?

あぁ。人間とは慣れる動物ともいうけれど、どうしてあれ程、感動したのに

その感動や満足に慣れてしまうのだろうか?


発見してもらえて、声をかけてもらうだけでも感動してドキドキした数カ月を過ごせたのに。

これに受かったら自分の人生、あの子たちの人生を証明できる。

そう思ってしまった。


最終面接のような打ち合わせの時、あの子たちと共にいると感じた。

実体はないけれど、あの瞬間一体となっていた感覚が残っている。


だから。

どうしても、今回は受かりたい。

有名になりたいとかじゃない。

あの瞬間、確かに感じたあの子たちとの思い出を正解にしたい。


つい欲が出てしまった。


惜しい結果に終わった今。想像以上にショックを受けている。


常にフラットに。日常に感謝しながら欲を出さずにひたむきに。

そう生きるほうが心が楽と知っているのに。


母性って本当に色褪せない。

子供を想うとひょいと境界線を飛んでしまう。

苦しいけれど

何年経っても母なんだ。

そう感じることこそ、あの子たちがいた証明なんだと思う。










自分を信じ続けたら想像以上の未来が待っていた。


自分の本当の想いを発信することは楽しい反面、すごく怖い。

裸で道路を飛び跳ねているようなものだから、指をさして笑われることもあるし、石を投げつけられることもある。


自分が伝えたいことばかりじゃナルシストになっちゃうし

「人が興味を持つこと」と「発信したいこと」のバランスをとるのも難しい


忖度は絶対したくないし

それでも、たくさんの人に伝えたい


相反する思いを常に抱えて悩みながらも続けていたら

気づかないうちに周りにたくさん想いを共有できる人が増えた


ホントは嫌いな料理なのに、嫌いなことを楽しくするために編み出した「目分量で美味しいレシピ」それがいろいろなところで評価され必要とされている。


あっ。自分の発信で立ち上がれている。

あっ。「楽しいはつくれて、どこまでも広がっていくんだ」。


やっと、自分の足で立てた。

歩けるのかどうかは分からないし、立ち上がれただけで十分幸せで心が震える。

この先はどうであろうが、関係ない。

今、この瞬間、私はたくさんのキラキラを両手に抱えて、まだ見ぬ未来にドキドキしてる。


私の人生って美しい。素直にそう思える。





いつものように朝起きて


いつものように仕事に行って

お昼休みに更衣室で友達とゴロゴロして

定時で帰れるべく猛烈に仕事を片付け


いつものように帰宅して夕飯を食べ

翌日の三食をつくり、家事を急いで終わらせ


いつものようにInstagramやコラムを更新して

旦那さんとおしゃべりして

いつもの時間にお風呂に入り、眠りにつく


たまに美味しいものを食べたり

たまに楽しくはしゃいだり

たまに美しいものに感動したりして


私が感じた楽しいや美しいを

花咲爺さんのように蒔いて

たまに心震える出会いに感動する


すべては日常からうまれて

日常から広がっていく


嫌なことも嫌いな人も

やっぱり日常の一部で

それがあるから感じるものもある


全てをひっくるめて私の人生で

その人生を美しいと感じるならばそれで良い


でも、その日常が嫌だったり

自分ではないと思うなら

環境を変えても良い


つまり、大事なことは私が

私の人生を美しいと思い

愛おしく感じるかどうか


だからこそ、毎日を大切に

丁寧に自分と向き合って

後悔しないように生きていきたい